鉄筋コンクリート桁の進化
-内房線・山生橋梁-
今回は,内房線江見─太海間の山生橋梁をとりあげます.鉄筋コンクリート製の橋梁は,1907(明治40)年に完成した山陰本線の島田川暗渠が国内初ですが,径間は1.83mでした.その後,鉄筋コンクリートの技術が発展していく試行錯誤の時代に,鋼製プレートガーダーの領域である支間9.1mクラスの橋梁として1924(大正13)年に誕生したのが,山生橋梁です.太平洋に面した厳しい環境ながら,現在も建設当時の姿を保っています.大規模構造物へ発展していく過程で誕生した山生橋梁をご確認ください.
「よん・さん・とお」をめざして(下)
─中央本線・新桂川橋梁─
前月に引き続き,中央本線鳥沢─猿橋間の新桂川橋梁をとりあげます.線路と桂川の河床との高低差が大きいのが新桂川橋梁の特徴ですが,橋脚や橋梁部分がどのようにして作られたのか,建設時の写真や図面とともに,詳述しています.建設当時は日本最大の支間長を誇り,現在でも土木構造物として見どころが多い新桂川橋梁.撮影に行かれた際には,そんな歴史にも,想いをはせてみてください.
「よん・さん・とお」をめざして(上)
─中央本線・新桂川橋梁─
E353系の登場で注目を集める中央本線.その鳥沢─猿橋間にある新桂川橋梁は,有名スポットのひとつとなっています.今回はその新桂川橋梁を取り上げる1回目として,同橋梁を含む新線計画から,設計にいたる部分を詳述しています.新線区間は旧線を短絡するルートとして,1968(昭和43)年の「ヨンサントオダイヤ改正からの使用開始を目指して計画されたもので,新桂川橋梁は当時の鉄道橋梁として最大支間を誇る存在として,たいへん意味深い存在となっています.
連載の補遺-その2-
今回は,これまでの連載の中から,掲載後に新たに発見された写真や資料,判明したことなどをまとめた,補遺の2回目となります.三信鉄道天竜川橋梁,三信鉄道建設工事殉職碑,岩手軽便鉄道宮守川橋梁,小名木川駅,富山線建設に活躍した機関車を紹介しています.お手持ちの各記事掲載号と合わせてご覧ください.
原位置を維持し続ける明治時代のトラス橋
-高山本線・新神通川橋梁-
今回,紹介する高山本線の新神通寺川橋梁は,明治時代に建設されたトラス橋でありながら,現在でも建設当時の場所で使用され続けている,全国的に見てもたいへん貴重な存在です.現在は,あいの風とやま鉄道(←北陸本線)と北陸新幹線の橋梁にはさまれているため,全景を見ることはできませんが,その歴史を感じていただくとともに,当地に架かる3橋の中ではもっとも古い橋梁なのに,名称に「新」がついている点にも注目してご覧ください.
東海道本線・瀬田川橋梁(上り内外線)
5径間連続PC桁の機能美
東海道本線の瀬田川橋梁(上り内外線)の沿革,設計,施工について詳述しています.もとは,現在の下り内外線が使用する上路プレートガーダのみでしたが,複々線化の際に新規橋梁を建設することとなり,5径間の連続PC桁が誕生しました.連続PC桁は,それまで2〜3径間が一般的だったところ,瀬田川橋梁(上り内外線)では5径間を採用,のちの橋梁技術発展に,大きく貢献しました.技術面や機能面のほか,構造物としての美しさも持つ姿をご堪能ください.
富士山の眺望
-東海道本線・富士川橋梁(上り線)-
東海道本線富士川橋梁を取り上げる3回目は,現在の東海道上り線を紹介します.当初は複線化の際に架設されたピントラスでしたが,老朽化による架替えが行なわれることとなり,さまざまな検討の結果,現在の中路連続プレートガーダが採用されます.なぜ,下り線と同様のトラスではなく,中路連続プレートガーダを採用したのか,さらに,プレートガーダを現地に運ぶ方法や,橋梁独特の問題を解決するために採用された最新技術についても詳述した,見どころが多い記事になっています.
災害を乗り越えて
-東海道本線・富士川橋梁(下り線)[2/2]-
9月号に引き続き,東海道本線富士川橋梁(第2回目)をお届けします.今回は現在の下り線の後編で,1914(大正3)年の水害復旧工事から,新上り線の建設,そして,1982(昭和57)年の水害とその復旧工事までをまとめています.一時期,上下線とも曲弦トラスで統一された姿の時代がありましたが,昭和57年の水害で,橋脚の流出やトラスの落橋という状態になってしまいました.現在,下り線の一部が平行弦ワーレントラスになっているのは,この復旧工事によるもので,たび重なる災害を乗り越えて現在に至る姿をご確認ください.
災害を乗り越えて
─東海道本線・富士川橋梁(下り線)[1/2]─
9月号から数回に分けて,東海道本線の富士川橋梁をとりあげる予定で,まず第1回目として,下り線のその1をお届けします.富士川橋梁(下り線)は,明治22年に建設された橋梁で,トラス橋の架け替えが必要となるような水害を2回経験しています.今回は,初代富士川橋梁のルート選択から建設,そして,大正3年の災害までをまとめました.地図で見ると少し遠回りしているのですが,このルートとなった理由や,313系など最新車両の足もとを現在も支えている,明治時代の建設当時の橋脚について詳述しています.
世界初の鉄道専用斜張橋
-三陸鉄道・小本川橋梁-
「日本の鉄道遺産」では,日本初などのエポックメーキングといえる構造物を取り上げてきましたが,今回は世界初のものとなります.取り上げたのは,世界初の鉄道専用斜張橋である,三陸鉄道の小本川橋梁です.斜張橋で思いつくのは,北陸新幹線の第二千曲川橋梁ですが,小本川橋梁は斜材(主塔と主桁を結ぶ部材)もPCコンクリートであることが特筆されます.世界的に見てもめずらしい鉄道専用斜張橋の設計や施工,そして現在の姿をご確認ください.
山手線の踏切に架かる跨線道路橋
-中里跨線道路橋-
駒込─田端間の第二中里踏切は「山手線で唯一の踏切」として知られています.この区間は山手線と山手貨物線(湘南新宿ライン)が並走していますが,貨物線が一段低いところを走っているため,山手線の踏切に続く道路は,貨物線を跨ぐ跨線道路橋となっています.この中里跨線道路橋は,山手貨物線の歴史に関連して,よく見ると特徴的な形状となっているのですが,なぜそうなったのかをここで解説しています.記事を読んでから現地を見ると,「なるほど」と感じられるはずです.
下町に残る貨物駅の面影
本誌2017年2月号では,越中島線の構造物について紹介しましたが,今回は同線の終端駅として開設された小名木川駅について紹介しています.小名木川駅の最大の特徴は,運河に面しており,舟運との連絡のために入船場が設けられたことです.現在では,入船場は埋め立てられてしまいましたが,計画時から現在までを詳述しています.さらに,周辺にある関係施設にもふれており,とくに,越中島線と城東電気軌道の記述は必見です.この記事をもとに街歩きしてみたくなるような,とても興味深い内容です.ぜひご一読ください.